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フアン (アストゥリアス公) : ウィキペディア日本語版
フアン (アストゥリアス公)

フアン・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ(Juan de Aragón y Castilla)またはフアン・デ・トラスタマラ・イ・トラスタマラ(Juan de Trastámara y Trastámara, 1478年6月28日 - 1497年10月4日)は、カスティーリャ女王イサベル1世アラゴンフェルナンド2世の唯一の男子。両王の王位継承者としてアストゥリアス公、ジローナ公の称号を授けられていたが、王位継承を果たせずに早世した。
== 生涯 ==
1497年に神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の娘マルグリット(スペイン語名:マルガリータ)と結婚した。前年の1496年にはフアンの妹フアナ(後のカスティーリャ女王)とマルグリットの兄フィリップ美公が結婚している。
結婚から間もなく、ポルトガルマヌエル1世と再婚する姉イサベルの婚礼に際してポルトガルへ赴く途上、サラマンカで死去した。死因は結核であったと考えられている。フアンが死去した時、妻マルグリットは懐妊していたが、その後男子を死産した。
唯一の男子であったフアンの死と、その子の死産により、両王の王位継承権は長女である姉イサベルに移ったが、イサベルは1498年に王子ミゲル・ダ・パスを出産して間もなく死去し、ミゲルも2年後の1500年に夭逝した。そのため、両王の次女であるフアンの妹フアナを王位継承者として、嫁ぎ先のフランドルから呼び戻すことになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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